「耳が良い」とはどういうことか。

ゴーシュです。

更新遅くなってしまいましたがそのかわりなかなかの長編です。読んで下さると幸いです!

 

 

よく褒め言葉として「耳が良い」という言葉を聞きますね。

なるほどとすんなり思えるようでよくよく考えたら使うのがなかなか難しい言葉のように思えてくるのです。

 

少なくとも耳がいいという文字面だけをみるとこれは、耳、つまりインプットをする部分の上手さを褒めている表現です。

しかし一言で耳の良さといっても、それが指す内容は様々で、

例えば

・プロの演奏家とアマチュア演奏家の音質の違いがわかる人

・録音したマイクの良し悪しがわかる人

・音程の違いが正確にわかる人

絶対音感がある人

・音楽表現の機微を掴み取ることができる人

などに対してこの言葉が使われた経験が私にはあります。

 

しかし、耳が良い、とは果たしてこのように「正確さを感じ取れる」ことを指しているのでしょうか。最近になってすこし変化が加わった考え方を喋っていこうと思います。

 

まずは変化の前、私がずっと抱いていた考え方。ここが一番軸となる部分なのでかなり長めになってしまいます。

 

今までの経験上、もちろん楽器や歌がプロ、又はプロ並みに上手い人はやはり耳がよく、細かい差異や違和感に気がつく傾向がありました。

しかし、逆に耳のいい人の中には本人の楽器や歌(つまり音楽のアウトプット)が下手という人も多いように思えたのです。

 

すこし論理的に書くと、

楽器や歌などのアウトプットが上手い人の集合を集合A

耳がいいという、インプットの上手さを持つ人の集合を集合B

とすると、

A⊂Bは真だけれど

B⊂Aは偽ということになりますね。

さらに言い換えると、アウトプットが上手い人はもれなくインプットも上手いが、インプットが上手いからといってアウトプットが上手いとは限らない、ということです。

 

たくさん言い換えて逆にわかりにくかったかもしれませんが、どこかでわかってほしいと思ってたくさん書いてみました。

 

ここで私が特に不思議に思うのは、「耳がいい人でもアウトプットが下手な人がいる」ということです。しかも経験上、そういう方々は耳はいいはずなのに自分の演奏に対して特にネガティブな印象を持っていないことが多いのです。

 

ここで考えられる可能性は

・彼らは自分の演奏を嫌ってはいるが隠している

・自分の演奏を、自分の脳でフィルターをかけて聞いてしまっている

・そもそもその人が耳がいいというのが間違い

・アウトプットが下手だと思ったこちら側の判断がおかしい

・耳がいいという考え方はアウトプットとは関係がないから関係を考えること自体がおかしい

などが考えられました。

この中で一番現実的なものは、二番目、フィルター説なように思えます。

音楽はインプットとアウトプットの連携ですから、関係がないとは言えないと思いますし、アウトプットが下手、というのは私1人の判断ではないことも多いですし、その人の耳がいいというのも疑うところではないかなと思いますし、彼らは涼しい顔をして演奏しているようにどうしても見えてしまいます。

 

もし彼らが彼らなりのフィルターをかけていると仮定した場合、せっかくのいい耳を自分の音楽に適用しない宝の持ち腐れ状態になっているのではないかなと思うのです。人間なんてどうせ主観的な生き物なのである程度のフィルタリングは仕方のないことです。自分が出している音を自分で聴く音と、その音をほかの人が聴いている音は物理的にもかなり違うといわれていますし。録音などでふと自分の喋っている声を聴いた時の違和感がまさにそれですね笑

 

なので、自分の音をほかのCDを聞くときのような客観的な土俵に上げてやるために、私は自分の録音を頻繁に録るのです。そうすることで、自分の演奏を出来るだけ客観的に批判したり褒めてやったりすることができると思っています。

 

ここまでが以前の自分の考え方です。長かったですね。お付き合いありがとうございます。

ここまではかつての私の、私なりの仮説に基づく頑なな考え方でしたが、実は最近はここにもう一つ付け加わりました。それは

「自分がどれだけ下手でも知ったこっちゃない。プロではないのだからやりたいようにやれる範囲でやれば良い」という考え方です。

 

これは当たり前のようで、練習に練習を重ねて舞台に立たせていただいていた私にはあり得ない発想でした。音楽を、できる限りの完璧さの中ではなく、自分の可能な範囲内で抑えておくという考え方はなかったのです。もちろん完璧などできるわけはありませんが、時間と労力を存分に費やして一生懸命に精度を上げることこそが良さだと思っていましたから。

なるほどそう考えれば耳のいい人が自分のアウトプットの精度の悪さに目を瞑ることができることにも納得できます。

 

そうなると、「耳の良さ」という表現の私の定義も変わってきます。数ミリオーダーのような正確性やその差異に気づくセンサーの敏感さではなく、自分の思う良いものを良いと思い、メーターの針を振らせることができるということを、この「耳の良さ」という言葉は指しているのかもしれません。

 

終わり方がなんとも尻切れトンボになってしまいましたが、この辺りで一通り話させていただいたのでこの辺で終わりにしたいと思います。

 

今回はだいぶ長くなってしまいましたがお付き合いありがとうございました!!

 

(*≧∀≦*)